デジタル領域において日本の遅れが目立っている。巻き返しのために必要なことは何か。AIブームを牽引してきた第一人者が考える、変革の「鍵」に迫る。
「真の人工知能」は未だ存在しない
AIに対する世間の認識は、現在のところ二分されます。「AIは万能である」という過大評価か、「AIにできることは限定的である」という過小評価のいずれかですが、私の見解はどちらでもありません。現在のAIは、特定の能力においては人間を凌駕するものも一部存在しますが、単なるツールの域は出ていません。人間の知能の原理を工学的に再現する、いわば「真の人工知能」は未だ現実のものにはなっていないのです。
ただし、今後5〜10年で起こる技術革新により、真の人工知能が誕生する可能性は高まります。深層学習と記号処理の融合や汎用AI(AGI)の開発が進むエキサイティングな状況を迎えていますが、なかでも私が注目するのは、深層学習の領域で近年急速に研究が進められている「世界モデル(World Model)」です。
人間の脳には経験によって構築されていくシミュレーターのような機能が備わっており、現在の周囲の状態から将来を想像して行動することができます。世界モデルとはこのような人間の知能に近いモデルです。これを確立すれば、ロボットが周囲の状況から得たデータを基に行動し、人間同様に他者と交流できるようになるのも夢ではないと考えます。
デジタル敗戦を巻き返す逆転の発想
機械学習や深層学習の登場により第3次AIブームがスタートした2013年以降、世界各国で関連技術の研究やビジネスへの応用が推進されましたが、日本はかなり出遅れてしまいました。保守的な国民性や既得権益、組織のトップ層のリテラシー不足などさまざまな要因が考えられます。
後手に回っているのはAIだけではなく、デジタル領域全般においても言えることです。スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表した2021年の『世界デジタル競争力ランキング』において、日本の総合順位は64カ国・地域のうち28位。2017年の調査開始から順位は20位台で一進一退しており、上位国とのスコアの差は年々拡大しています。
とはいえ、悲嘆に暮れる必要はありません。ご存じのように日本は少子高齢化や過疎化、経済停滞などに苦しむ課題先進国ですが、見方を変えれば諸外国のお手本となり得ます。社会的課題の山積する状況は、AI活用という視点で見れば、データ化すべき「環境要因」が豊富であると捉えられます。他国に先駆けてデータ化と課題の解決を図ることができれば、後年、他国が同様の課題に向き合う際に優位に立てるという訳です。ここに日本が巻き返しを図るヒントが隠されています。
サイクルの高速化で生まれた余剰時間をいかに活用するか
AIを活用するうえでの観点は、あらゆる業務における大小さまざまなプロセスの自動化による「サイクルの高速化」に尽きます。パーソナライズされたおすすめ商品が自動表示されるECサイトや顧客ニーズに合わせたプランを瞬時に提案するサービスもすでに存在しますが、これらに共通するのは情報やデータの処理・分析のサイクルをAIによって高速化している点です。
高速化により生じた余剰時間を利用して付加価値をつくることも肝要です。例えば、従来は1週間かかっていた見積書作成を、AIで自動化すれば1分と大幅に短縮できます。余った時間はほかの見積パターンの検討や、同業他社との比較によるプラン自体のブラッシュアップなど、プラスアルファの価値を生み出すために活用されねばなりません。
変化の速さが生存の可否を決める
生物の進化において、環境変化への適応が重要であることは歴史が証明しています。かつてないスピードで変容する現代社会においても、適応するための「変化の速さ」が社会や組織の強さに直結します。DXによるドラスティックな変化は、適応を促進する起爆剤となるでしょう。
また、AIはSDGs達成にも大いに貢献すると考えます。サイクルの高速化や業務効率化がもたらすのは社会全体の最適化であり、多くの資源や時間の節約につながります。さらに、環境保全や子どもの貧困、教育格差といったグローバルイシューに対しても、ビッグデータを用いたアプローチは有効です。多くの課題に対峙する今こそ、DXを起点に変化のスピードを加速すべきです。
AI時代における主役は若い世代
GAFAのような世界的企業からスタートアップに至るまで、成長する企業の共通点はAIやデジタルと掛け合わせたビジネスやサービスを創出していることです。今後もAIやデジタル領域が発展の中心となることは疑う余地がありません。
私はこれまで、AIほど面白いものはないと信じて研究を続けてきました。世界中でAIがリテラシーレベルにまで浸透しつつある状況は非常に喜ばしい一方、日本の遅れや挑戦に消極的な傾向を危惧します。
これを打破するのは、変化に迅速に適応できる20〜30代の若い力でしょう。松尾研究室にもさまざまな志をもった学生が集っており、イノベーションを起こす主役は若者だと感じます。若者が挑戦することに対するマイナス要素は存在しない時代です。興味のある分野とAI・デジタルを組み合わせて、自分らしく挑戦されることを期待します。
<プロフィール>
松尾 豊 MATSUO Yutaka
1997年、東京大学工学部電子情報工学科卒業。産業技術総合研究所研究員、スタンフォード大学客員研究員を務めるなどして、2007年に東京大学大学院工学系研究科准教授。2019年より、同研究科人工物工学研究センター/技術経営戦略学専攻教授。日本ディープラーニング協会理事長や人工知能学会理事、情報処理学会理事、ソフトバンクグループ社外取締役も兼任。専門は、人工知能、深層学習、ソーシャルメディア分析など。
掲載紙
今回のインタビューは、東洋経済新報社と株式会社WAVEが制作した「東洋経済ACADEMIC 次代の教育・研究モデル特集 Vol.1」に掲載されています。
東洋経済ACADEMIC 次代の教育・研究モデル特集 Vol.1未来社会を担うDX・AI その真価を解き明かす
東洋経済ACADEMICシリーズから【DX・AI】に関する書籍が発刊。
Sociaty5.0で示される日本社会の未来を実現するために、社会課題解決に資する人材育成、研究が現在ほど求められている時代はない。今日、ウィズコロナ時代に向けて、DX推進・AI活用は、産業界のみならず、教育界の先進分野として世界の注目を集めている。文部科学省をはじめとする各省庁の動きからも、データサイエンス教育やデジタルとフィジカル融合型の研究手法への支援は力強く展開中である。本誌では、教育・研究の場におけるDX推進・AI活用を実現する多様な事例を紹介し、それらを加速・推進する次世代教育・研究モデルの核心に迫る。