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手を差し伸べたい? 差し伸べられたい? 現代文学から考える、「誰一人取り残さない」社会のつくり方。

SDGsには「誰一人取り残さない」という原則が掲げられていますが、あなたは自分自身が「取り残さないように手を差し伸べる」側なのか、それとも「取り残されないように助けを求める」側なのか、考えたことはありますか?17のゴール・169のターゲットからは、救いの手を必要とする当事者の顔や心情までは読み取れません。文学はそうした分断に光を当て、見えない問題を影絵のように浮かび上がらせます。今回ご紹介するのは、若き直木賞作家・芥川賞作家による3篇の小説。作品に登場する社会的弱者や少数者の姿を通して、社会問題の背景にある核心や、人々が無意識に抱いている偏見を知れば、新たな視点でSDGsと向き合えるようになるはずです。

「多様性」の本質を鋭く問いかける:朝井リョウ『正欲』(新潮社刊)

「自分が想像できる“多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな――」
息子が不登校になった検事・啓喜。初めての恋に気づいた女子大生・八重子。ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり、繋がり合う。
しかしその繋がりは、”多様性を尊重する時代”にとって、ひどく不都合なものだった――。

(引用│朝井リョウ『正欲』作家生活10周年記念作品 特設サイト | 新潮社

SDGsが社会に浸透すると同時に、人口に膾炙した「多様性(Diversity)」という言葉。その裏側に、どんな人々を思い浮かべるでしょうか。LGBTQと呼ばれる性的少数者や、異なる人種や国籍・文化・宗教を持つ人、生活困窮者……。現代社会では、こうした人々の存在を肯定し、多様性を尊重すべきだという意見が主流となっています。

しかし、想像が及ばない、あるいは生理的に嫌悪感を覚えるような、独自の志向や価値観を持つ存在についてはどうでしょう。「多様性」を温かく受け入れながら、一方で「異常者」として注意深く選り分け、遠ざける――そんな態度を取ってはいないでしょうか。薄っぺらな正義の仮面を外すと現れる人間のずるさを、この小説は厳しく糾弾します。そして、片方が「認め、理解する」、もう片方は「認められ、理解される」という関係の非対称性や、多数派に留まり続けようとする人々の根底にある不安まで突き詰め、「正」しい「欲」とは何なのか、改めて問いかけるのです。

真の意味で「多様性」を尊重するための出発点。それは、理解できる領域を広げることではなく、「自分の想像が及ばないものがあると自戒する」ことではないでしょうか。気づかないうちに刷り込まれた常識の危うさに気付き、新たな視点で社会を見つめるために、直木賞作家でもある朝井リョウさんの最新作『正欲』をおすすめします。

既存の枠組みに当てはまらない自分を生きる:村田沙耶香『ハコブネ』(集英社文庫刊)

自らの性に疑問を抱く里帆、女であることに固執する椿、生身の男性と接しても実感を持てない知佳子。三人の交差する性はどこへ向かうのか。第155回芥川賞受賞者による渾身の長編小説。

(引用│ハコブネ/村田 沙耶香 | 集英社 ― SHUEISHA ―

時代とともに性別に対する意識は変化しますが、未だに「女性らしさ」「男性らしさ」という固定観念は根強く残っています。それは自由な振る舞いを制限する一方で、一個人として生きる不安や責任を忘れさせてくれる、便利な類型なのかもしれません。性自認・性的指向が男性・女性の枠に収まらない人にとっては、「LGBTQ」などの言葉が同様の役割を果たすことでしょう。では、自分の存在がどの言葉でも規定されないとしたら――どうやって自己を認識し、社会集団に参加すればよいのでしょうか。

本作では、里帆、椿、知佳子という女性が、まさに三者三様のやり方で性とアイデンティティの問題に向き合います。全編を通して描かれるのは、どこかに所属したいという強い欲求と、それが満たされない瞬間のすさまじい孤独感。悪戦苦闘を経てそれぞれが至る結論には、深い諦念と覚悟がにじんでいます。それでもこの物語が読者に希望を与えるのは、「何にも当てはまらないなら、自分のために新しい概念を作ればいい」というしなやかなメッセージが含まれているから。今ある枠組みに固執せず、未知の世界へ踏み込むという行動には大きな勇気が必要ですが、だからこそこの物語が「ハコブネ」となって可能性を示してくれるのです。

芥川賞を受賞した『コンビニ人間』を始め、世間が求める「普通」のおかしさを指摘し、常識を軽々と飛び越えた世界観を構築していく、村田沙耶香さんの作品。『ハコブネ』は物語としての面白さはもちろん、数々の著作の根底にある理念まで伝わってくる名作です。

一人きりで世間と戦い続ける人に寄り添う :西加奈子『夜が明ける』(新潮社刊)

自分が「助けてもらう」側であることが悔しかった。

15歳の時、高校で「俺」は身長191センチのアキと出会った。普通の家庭で育った「俺」と、母親にネグレクトされていた吃音のアキは、共有できることなんて何一つないのに、互いにかけがえのない存在になっていった。
大学卒業後、「俺」はテレビ制作会社に就職し、アキは劇団に所属する。しかし、焦がれて飛び込んだ世界は理不尽に満ちていて、少しずつ、俺たちの心と身体は壊れていった……。
思春期から33歳になるまでの二人の友情と成長を描きながら、人間の哀しさや弱さ、そして生きていくことの奇跡を描く、感動作!」

(引用│西加奈子『夜が明ける』 特設サイト – 新潮社

1980年代以降、日本に台頭し始めた「新自由主義」。国家による福祉・公共サービスを縮小し、個人の自由や市場原理を重視するというこの思想は、その後の経済の発展に大きな影響を与えました。時を同じくして起こったのが、各人にあらゆる事態の解決を求める「自己責任」論の拡大です。生活保護費の引き下げに対して受給者が起こした裁判で請求が棄却される、中東で拉致された日本人のボランティアに対して政府が「自己責任」だと非難する、性暴力を受けた女性が落ち度を責められる……。同様の事例は、挙げていけばキリがありません。そんな社会情況の中では、「自助努力によって、社会に利益を与え続ける」ことが美談として語られます。勤労学生として研鑽を積み、影響力のある立場に就く人。食事や睡眠の時間を削り、昼夜を問わず働いて家族を養う人。それが身を削るような行為であっても、世間に「甘えている」と非難されないためには、続けるしかありません。

『夜が明ける』の登場人物たちも、過酷な状況にもがき苦しみながら、そんな立場を強いる社会に「勝つ」「負けない」ことを目指して奮闘します。しかし、そもそもなぜ、自分の身を犠牲にしてまで世間の期待に応えなくてはいけないのでしょうか。貧困、虐待、暴力、過重労働――。あらゆる問題に向き合った先に、この物語は「助けを求めることは当たり前で、それができない社会が理不尽」だと力強く言い切ります。いじめや過労自殺など、悲劇的な報道が続く現代社会において、どのように他者、そして弱者としての自分に向き合うべきなのか。直木賞を受賞した『サラバ!』など、数々のヒット作を持つ西加奈子さんが5年ぶりに書き下ろした本作は、根本的な姿勢を見つめ直すきっかけになるはずです。

「SDGs」をキーワードに、世界の人々とのつながりを想像する

これらの作品を通じて浮かび上がるのは、今提唱される「多様性」や世間が求める「普通」の枠に収まり切らないほど、人間が多面的で変化していく存在だということ。だからこそ、私たちは「手を差し伸べる側」「差し伸べられる側」のどちらにも成り得ます。世間に負い目を感じることなく助けを求め、一方で困っている人には躊躇なく声をかける。持ちつ持たれつの互助関係が機能してようやく、健全な社会と呼べるのではないでしょうか。

そして、その状況を実現するためには、人と人とのつながりが欠かせません。『正欲』『ハコブネ』『夜が明ける』――どの物語でも、瀬戸際に立つ誰かの心を救うのは、同じ目線に立つ人の存在でした。家族や友人、学校の先生、職場の上司や後輩など、近しい人との絆はもちろん、国際社会に浸透している「SDGs」という共通言語も、世界の人々との連帯を感じさせるきっかけになるはずです。達成すべき目標として数値を追いかけるだけでなく、各ターゲットから見えてくる人の姿を自分の身に置き換えて想像し、行動する。それこそが、現代社会を共に生き抜くために、最も大切なことではないでしょうか。

<参考>