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ウクライナの伝統料理、ボルシチが無形文化遺産に登録。 私たち一人ひとりの手でかけがえのない文化を守ろう。

ロシアによるウクライナ侵攻は、ウクライナの人々の生活を一変させただけでなく、大切な文化の存続にも多大なる影響を及ぼしています。2022年7月1日ユネスコは、ウクライナ侵攻によってウクライナの伝統料理「ボルシチ」が消滅の危機に瀕しているとして、ボルシチを無形文化遺産に緊急登録しました。
人の営みによって脈々と受け継がれていく文化や習慣。しかしそれは思わぬ形で途切れてしまうかもしれないのです。今一度文化の大切さを思い、それを守るために私たちが何を出来るのか考えましょう。

ボルシチってどんな料理?

タイのトムヤムクン、フランスのブイヤベース、中国のフカヒレスープに並び世界3大スープの一つとして知られる「ボルシチ」(世界3大スープと呼ばれますが、4種類のスープが挙げられます)。ビーツやキャベツ、ニンジン、お肉などをじっくりと煮込んだ、深紅色のスープです。ロシア料理店などでよく見られるボルシチですが、実はウクライナ発祥のスープとされています(諸説あり)。ウクライナで誕生したボルシチがロシアやポーランドなどの周辺地域へ広まり、それぞれの地域独自の作り方で食べられるようになりました。

ボルシチはウクライナの人々にとって、まさに「おふくろの味」。寒さの厳しいウクライナで、冷えた体を温めてくれる家庭料理です。日本のお雑煮のように地域ならではの具材や作り方があり、郷土の文化を映し出す一品でもあるのです。
そんなウクライナのソウルフード「ボルシチ」が、2022年7月1日にユネスコの「緊急保護が必要な無形文化遺産」に登録されました。本来2023年の登録を目指して申請されていましたが、今回のウクライナ侵攻をきっかけに急遽登録が決定されました。侵攻によって人々が避難を強いられ、材料となる地元の野菜を生産できなくなってしまったことから、武力紛争で存続が脅かされていると判断されたためです。また、ボルシチを中心に家族や地域コミュニティが食卓を囲むことができなくなり、地域社会の社会的・文化的幸福が損なわれてしまったことも登録の理由です。

無形文化遺産とは。世界遺産とどう異なる?

今回ボルシチが登録された「無形文化遺産」とは、どういったものなのでしょうか。「世界遺産」とよく似た名称ですが、その内容は異なります。

1972年に世界遺産条約がユネスコで採択されて以来、有形の文化財や自然遺産が国際的枠組みによって保護されてきました。これが世界遺産です。
その後グローバリゼーションや生活様式の現代化が進む中、民族固有の伝統文化が消滅の危機にさらされるとして、無形文化の保護も注目されるようになりました。それを受けユネスコの加盟国や専門家らが無形文化遺産の保護を提唱し、世界遺産条約から遅れること30年、ユネスコ総会にて「無形文化遺産の保護に関する条約」が採択されました。
現在の締約国は約180ヵ国で、登録数は530件(「代表リスト」への登録数)に上ります(出典|外務省「無形文化遺産」)。無形文化遺産に登録されると国際的な援助が受けられたり、自国内での保護措置が取れたりするようになります。

無形文化遺産事業で保護の対象となるのは、「口承による伝統及び表現、芸能、社会的慣習、儀式及び祭礼行事、自然及び万物に関する知識及び習慣、伝統工芸技術」(出典|文化省「無形文化遺産」)といった形なき文化です。登録の際は、

  • 人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表リスト)
  • 緊急に保護する必要がある無形文化遺産の一覧表(緊急保護リスト)
  • 条約の原則及び目的を最も反映している最良の実例(ベスト・プラクティス)

のいずれかとして申請登録されます。
「代表リスト」には世界の多様な文化が、「緊急保護リスト」は緊急に保護する必要があるもの、「ベスト・プラクティス」は文化遺産保護のための優れたプログラムやプロジェクトが登録されます。
日本でも能楽や歌舞伎といった数々の文化が、無形文化遺産としてノミネートされています。2013年には和食が代表リストに登録されたことが話題になりました。「自然を尊ぶ」という日本人の古くからの気質が表れた和食。こういった伝統的な食文化が世代を越えて受け継がれていることが評価され、登録に至りました。

無形文化遺産と世界遺産の異なる点は、保護対象が無形か有形かだけではありません。登録基準にも大きな違いがあります。
世界遺産では「顕著な普遍的価値」があること、つまり人類にとって重要であると認められることが必要です。一方、無形文化遺産では価値の大小は審査されません。多様な伝統文化の保護を目的としているからです。

文化を守ることはなぜ大切なのか

そもそも、なぜ文化を守る必要があるのでしょうか。

「文化人類学の父」と呼ばれるエドワード・タイラーは、文化は「知識、信仰、芸術、道徳、法、習俗等、人間が社会の一員として獲得したすべての能力と慣習の総体」であると定義しました。つまり文化とは民族やその社会に固有のものであり、長い年月をかけて構築されてきたアイデンティティと言い換えられます。文化を失うとはその民族のアイデンティティが消失するということであり、民族的多様性が損なわれることなのです。

ユネスコは2001年に「文化的多様性に関する世界宣言」を採択し、文化は2つの側面から重要であるとしています。
一つは人権的な観点からです。アイデンティティ構築や社会的結束を担う文化は、人間の尊厳と密接に関わります。人々の基本的人権を守る上で、その人が所属するコミュニティの文化を守ることは不可欠なのです。
もう一つの観点は、社会の発展における文化の重要性です。ユネスコは同宣言で、文化は社会の革新や創造の源として人類に共通する遺産であるとしています。例えば日本の伝統工芸の漆を用い、使用後は土に還るプラスチックフリーカードが開発されています。近年のプラスチック問題の解決につながる商品として、今後の広がりが期待されています。

出典|NPO法人ウルシネクスト 漆と綿だけでできた乾漆カード。漆は乾燥すると固くなる性質を持っているため、耐久性に優れている。製作工程で大量の水や電力を使用せず、生産から使用後までエコな商品で、クレジットカードやポイントカードとしての活用が期待される。

文化の多様性を守ることはSDGsと密接に関わります。SDGsで目指すのは、あらゆる民族、共同体の主権が守られる「誰一人取り残さない社会」です。いかなる民族、共同体も主権を持っているように、それらと深く関わる文化も国際社会の一部による暴力で脅かされてはいけません。文化の保護を通じて国際社会の多様性を守ることが、「誰一人取り残さない社会」につながるのです。

ユネスコでは無形文化遺産の保護とSDGs の関係性を分かりやすくするために、世界の無形文化遺産とSDGsの17ゴールとの関連を図式化しています。こちらのリンク(ユネスコ|生きた遺産と自然 (unesco.org))の図では、例えば「SDGs4:Quolity Education」にマウスオーバーすると、同ターゲットに関する世界中の無形文化遺産が表示されます。ぜひ文化とSDGsのつながりを実感してみてください。

ボルシチをめぐって対立する二つの国

ウクライナの人々にとってはボルシチの無形文化遺産登録は喜ばしいニュースでしたが、一方のロシアでは抗議の声が上がりました。ウクライナ発祥とはいえ、ロシアでも広く親しまれているボルシチ。ロシア外務省のザハロワ情報局長は「ウクライナはボルシチを独占しようとしている」と非難しました。

しかし、ユネスコはボルシチをウクライナ固有の食べ物として認めたわけではありません。あくまでも、ウクライナの人々の間でボルシチが文化的・社会的に重要な位置づけにあると明文化したのみであり、決してボルシチ=ウクライナのものと定義したわけではないのです。古くからボルシチを中心として形成されてきた社会習慣が消滅の危機に瀕しているとして、保護対象になりました。

ユネスコは政治の状況に関わらず、民族固有の文化を平等に保護しようと考えます。そしてその考え方は、当然ロシア文化に対しても当てはまります。ウクライナへの侵攻以来、世界各地でロシア文化に対するネガティブな意見が見られるようになりました。しかし政治的な理由がロシア文化にまで及んではいけません。むしろこういった状況だからこそロシア文化を知り、ロシアやウクライナで困難な状況に陥っている人々に思いを寄せるべきでしょう。

伝統的な習慣や文化に関心を持とう

形のない文化や習慣は、意識的に保護し受け継いでいかなければ簡単に途絶えてしまうはかないものです。グローバル化や技術の進歩で生活様式が変わってしまったとしても、少しでも伝統や文化に思いをはせることで、先代の人々が大切にしてきたものを心で感じることができます。

また身近なもののみならず遠く離れた国の文化でも、誰かが触れることで継承につながります。例えばあなたが今週末、家族や知人とボルシチを食べながら、ウクライナの人々の暮らしやボルシチの風味豊かさについて語り合うことも、消滅の危機に瀕した文化を守ることになるのです。

物産展や美術館、音楽フェスティバルなどで世界各国の料理や美術、音楽などにも気軽に触れられるようになった現代。身近な日本文化のみならず世界にも目を向けて、文化の多様さや豊かさを考えてみてはいかがでしょうか。

<参考>