#04 ウクライナ・ロシアの世界遺産
戦争は人類や地球にとってかけがえのない文化遺産や自然環境にも被害をもたらす。ロシアの軍事侵攻によってウクライナにある複数の歴史的建造物が破壊された。武力紛争時の文化財保護については、国際条約(1954年に締結されたハーグ条約)で定められているにもかかわらず、だ。
シリーズ第4回では、両国が有するさまざまな文化的・歴史的建造物や豊かな自然のなかでも、特に貴重とされている世界遺産に焦点を当てて紹介する。
■ 世界遺産について
1972年のユネスコ総会で採択された世界遺産条約には196か国が加盟している。この条約は「顕著な普遍的価値」を持つ「有形の不動産」を保護・保全することを主旨としており、世界遺産リストには1223件が記載されている。(2024年8月時点)
世界遺産には、次の3つの種類がある。
❶文化遺産:顕著な普遍的価値を有する、記念物、建造物群、遺跡、文化的景観など
❷自然遺産:顕著な普遍的価値を有する、地形や地質、生態系、絶滅のおそれのある動植物の生息・生育地など
❸複合遺産:文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えているもの
※出典:公益社団法人日本ユネスコ協会連盟
世界遺産のなかには、「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録された「危機遺産」があり、自然災害や、紛争・戦争などにより、重大かつ明確な危険にさらされている場合にその指定を受ける。2024年7月時点で56件がリストに記載されている。
例)エルサレムの旧市街とその城壁群(エルサレム)、スマトラの熱帯雨林遺産(インドネシア)など
そして2023年、この危機遺産にウクライナの世界遺産の一部も登録された。ウクライナ南部の「オデーサ歴史地区」、キーウにある「キエフ-ペチェールスカヤ大修道院」、ウクライナ西部にある「リヴィフ歴史地区」の3つだ。この事実からも、改めてロシアの軍事侵攻が人類に与えるマイナスの影響がうかがえる。
次章では、ウクライナ・ロシアにある世界遺産の歴史的背景・文化的価値や、それぞれのポイントを紹介する。
■ ウクライナ・ロシアの世界遺産
ウクライナの世界遺産
7つの文化遺産と1つの自然遺産、計8つが登録されている。ポーランドやルーマニアなどと接するウクライナ西部や、南部を中心に分布している。
なお、クリミア半島にある古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラ(地図❺)は文化遺産に登録されているが、クリミア半島は2014年ロシアに併合されており、
その保護状況は現在不明である。
■文化遺産(赤)
❶キエフ-ペチェールスカヤ大修道院
❷リヴィフ歴史地区
❸シュトゥルーヴェの三角点アーチ観測地点群
❹ブコヴィナ・ダルマティアの主教座施設
❺古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラ
❻ポーランド、ウクライナのカルパチア地方の木造教会
❼オデーサ歴史地区
■自然遺産(緑)
❽カルパチア山脈とヨーロッパ地域の古代及び原生ブナ林
※地図はおおよその位置を示したものです
※世界遺産の日本語表記は日本ユネスコ協会連盟サイトに準拠しています(中央シホテ-アリン、および2017年以降に登録された世界遺産を除く)
https://www.unesco.or.jp/activities/isan/worldheritagelist/europe_2/
※キーウ(キエフ)の表記は本文中はキーウにて統一
■文化遺産
❶キエフ-ペチェールスカヤ大修道院/ 1990年登録/危機遺産
・9~13世紀に栄えたキーウ・ル―シ(大公国)の宗教的中心となっていた聖ソフィア大聖堂
・現存するキーウ最古の教会であり、創建年は1037年(諸説あり)
・創建当時は13のドームを持つビザンチン建築の様式だったが、18世紀、「ウクライナ・バロック様式(※1)」に改修
・内部はフレスコ画(壁に直接絵を描く技法の1つ)と、モザイク(石、ガラスの細片で描かれた模様や図像)で豪華に彩られている
※1:西ヨーロッパのバロック様式とは異なり、外壁・上階部分の装飾が穏やかで形式が単純であるとされる
❷リヴィフ歴史地区/ 1998年登録(2008年一部登録内容が変更)/危機遺産
・13世紀半ばにつくられ、政治・商業の中心として栄えた
・14世紀以降、ポーランド領となったのち、オーストリア帝国の支配下となり、その後もポーランド、旧ソビエト連邦に併合されるなど紆余曲折を経て、現在はウクライナの領土に
・東欧の伝統様式とイタリアやドイツなどの建築様式が融合した、特有の建造物が建ち並ぶ
・ウクライナ・カトリック教やアルメニア正教など数多くの宗派の教会があることでも有名
❸シュトゥルーヴェの三角点アーチ観測地点群 / 2005年登録/ 2005 年登録
・シュトゥルーヴの測地弧は約2820kmも続く、子午線弧長の三角測量のために設置された三角点群のことで、10か国にまたがっている。1816年から1855年にかけて行われた測量にて使用され、地球の大きさなどを正確に測る上で大きく貢献した
・当時設置された観測地点は265か所。うち34か所が世界遺産に登録されており、ウクライナにある観測地はそのうちの1か所
❹ブコヴィナ・ダルマティアの主教座施設/ 2011年登録
・ブコヴィナ府主教たちの邸宅や聖堂・修道院・庭園などからなる
・19世紀当時の東方正教会に対する寛容的な宗教政策が反映されている
・東方正教会文化とウクライナの民族文化が融合した建築とされる
・現在はチェルニウツィー大学の校舎の一部として利用されている
❺古代都市「タウリカのヘルソネソス」とそのホーラ/ 2013年登録
・クリミア半島に残る古代都市遺跡と周辺の農業遺跡が対象
・「ウクライナのポンペイ」とも呼ばれ、かつてウクライナの紙幣の図案にも採用された
・考古遺跡は、黒海周辺に植民した古代ギリシアのポリスと、ポリスを支えた農業領域の姿を伝えている
❻ポーランド、ウクライナのカルパチア地方の木造教会/ 2013年登録
・ポーランドとウクライナにまたがるカルパチア山脈周辺に多く点在する木造教会(ツェールクヴァ)のうち、代表的な16棟が登録されている
※地域により様式にバリエーションが見られる
・16世紀~19世紀に東方正教会とギリシャ・カトリックの共同体により建造された
・カルパチア地方の4つの民族の文化的な拡大と、様式的・装飾的・技術的特徴を象徴しているとされる
❼オデーサ歴史地区/ 2023年登録/危機遺産
・「黒海の真珠」と称えられる美しい港町「オデーサ」。ウクライナ第3の都市とも呼ばれる
・19世紀に自由貿易港となり、ヨーロッパ中の民族・文化が集まる多文化・多民族都市として急速に発展し、方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)の整然とした街並みが特徴
・2023年7月にロシア軍によるミサイル攻撃を受け、同地区にある救世主顕栄大聖堂のドームが崩壊するなどの大惨事となった
※写真はオデーサの一建築物
■自然遺産
❽カルパチア山脈とヨーロッパ地域の古代及び原生ブナ林/ 2007年登録後、数回登録内容が変更
・最も多くの国境をまたぐ世界遺産(アルバニア、イタリア、ウクライナ、オーストリア、クロアチア、スイス、スペイン、スロバキア、スロベニア、チェコ、ドイツ、フランス、ブルガリア、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ポーランド、ルーマニア、北マケドニア)
・多彩な動植物が共存している、現在では稀な原始林
ロシアの世界遺産
ロシアには2024年現在、21の文化遺産と11の自然遺産、計32の世界遺産がある。文化遺産はモスクワ・サンクトペテルブルクがある西側に集中しており、自然遺産は広大な国土に広く分布している。ここでは、観光地として人気の高い8つの世界遺産について紹介する。
■文化遺産(赤)
1)サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群/ 1990年登録
2)キジ島の木造教会/ 1990年登録
3)モスクワのクレムリンと赤の広場/ 1990年登録
4)ノヴゴロドの文化財とその周辺地区/ 1992年登録
5)ソロヴェツキー諸島の文化と歴史遺産群/ 1992年登録
6)ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群/ 1992年登録
7)セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群/ 1993年登録
8)コローメンスコエの昇天教会/ 1994年登録
9)クルシュー砂州/ 2000年登録
10)フェラポントフ修道院群/ 2000年登録
11)カザン・クレムリンの歴史遺産群と建築物群/ 2000年登録
12)デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群/ 2003年登録
13)ノヴォデヴィチ女子修道院群/ 2004年登録
14)ヤロスラヴル市街の歴史地区/ 2005年登録
15)シュトゥルーヴェの三角点アーチ観測地点群/ 2005年登録
16)ブルガールの歴史的考古学的遺跡群/ 2014年登録
17)スヴィヤジツク島の聖母被昇天大聖堂と修道院/ 2017年登録
18)プスコフ建築派の教会群/ 2019年登録
19)オネガ湖と白海の岩絵群/ 2021年登録
20)カザン連邦大学天文台/ 2023年登録
21)ケノゼロ湖の文化的景観/2024年登録
■自然遺産(緑)
22)コミ原生林/ 1995年登録
23)バイカル湖/ 1996年登録
24)カムチャツカ火山群/ 1996、2001年登録
25)アルタイのゴールデン・マウンテン/ 1998年登録
26)西コーカサス山脈/ 1999年登録
27)ビキン川渓谷(前:中央シホテ-アリン)/ 2001年登録
28)オヴス・ヌール盆地/ 2003年登録
29)ランゲル島保護区の自然生態系/ 2004年登録
30)プトラナ高原/ 2010年登録
31)レナ川の石柱自然公園/ 2012年登録
32)ダウリアの景観群/ 2017年登録
■文化遺産
1)サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群/ 1990年登録
・かつてのロシア帝国の首都であり、ロシアで最も美しい都市とも言われるサンクトペテルブルク
・18世紀、ロマノフ朝のピョートル大帝によって築かれたペトロパヴロフスク要塞が起源
・国立美術博物館であるエルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿なども含まれ、人気を博す
2)キジ島の木造教会/ 1990年
・オネガ湖に浮かぶ長さ7㎞、幅約500mほどの細長い島、キジ島
・キジとは先住民の言葉で「祭祀の場」。先住民は、自然崇拝を行っていた
・ロシア正教に改宗後、複数の教会建築などがつくられた
・釘を使わず木のみで建立された建築物も含まれている
3)モスクワのクレムリンと赤の広場/ 1990年登録
・ロシアの首都であるモスクワ市内にある旧ロシア帝国時代から残る宮殿
・ロシア語のクレムリは「城塞」を意味する。建物全体が城壁で囲われた造り
・1156年に築かれた砦が起源。城壁の内部にはさまざま宮殿や聖堂がある
・ロシア語で「赤い」と「美しい」の語源は同じとされ、赤は美しさの象徴とされる
・赤の広場に建つロシア正教会の大聖堂が「聖ワシリイ大聖堂」。中央に主聖堂があり、その周りを8つの小聖堂が囲む
6)ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群/ 1992年登録
・ロシアの政治と文化双方の原点である「黄金の環」とよばれる古都群のうち、2都市がウラジーミルとスーズダリ
・美しい大理石の外壁に施された精巧なレリーフが特徴
・聖堂、修道院、城塞など8つの建物が世界遺産として登録されている
11)カザン・クレムリンの歴史遺産群と建築物群/ 2000年登録
・イスラム教とロシア正教の影響を受けた歴史的建築物が並ぶ街カザン
15世紀にはカザン・ハン国の首都となり、モスク(イスラム建築)が建築される
・16世紀、ロシア正教化がすすめられ、キリスト教建築が建築された
・ブラゴヴェシェンスキー大聖堂は現存するクレムリンのうち最古の建築とされる
13)ノヴォデヴィチ女子修道院群/ 2004年登録
・モスクワにある正教会修道院の中でも有名な女子修道院の1つ
・帝国時代、ウクライナやベラルーシなどからも多くの修道女が移ってきた
・15の建物からなり、なかでも生神女大聖堂(6つの柱と3つのドーム)はモスクワ・バロック様式の傑作とされる
■自然遺産
23)バイカル湖/ 1996年登録
・約2500万年前に形成された世界最古の断層湖で、三日月の形をしている
・「生物進化の博物館」とも称される湖で、琵琶湖のおよそ46倍の面積がある
・貯水量が世界最大で、世界中の淡水の17-20%を有しているともされる
・世界最高クラスの透明度を誇り、深度も世界一
■ウクライナ・ロシア戦争の今
NHK が公表している2024 年9 月23 日時点の戦況と、ウクライナの世界遺産の位置を照らし合わせると以下のようになる。
ロシアとの国境に近い東側を中心に侵攻を受けている状況だが、北部の「キエフ-ペチェールスカヤ大修道院」、西部の「リヴィフ歴史地区」、さらには南部の「オデーサ歴史地区」が危機遺産に登録されたという事実からも、空爆等によりウクライナ領内の広範囲にわたり、さまざまな遺産が危機にさらされていることがわかる。
2024年2月にウクライナ政府が主催した国際会議において、ウクライナのシュミハリ首相はウクライナ側は侵攻から2年の間に国内で900以上の歴史的建造物や宗教施設、教育関連施設などが被害を受けたとも指摘し、「ロシアは物理的な破壊だけでなく、遺産や民族の記憶を奪っている」と強く非難した。
一方でロシア側も、ウクライナ軍の砲撃や空爆の被害を受けベルゴロド州が2024年8月に非常事態宣言を出すほか、その周辺のクルスク州等も被害が確認されている。両国とも戦争による被害が続くなかで、世界遺産をはじめ、各地域にある歴史的な遺産や文化、自然が失われてしまう事態も、終わりが見えない状況だ。
ロシア・ウクライナの戦争による市民の死者は少なくとも11,743人(国連・9月6日時点)。世界各地に滞在しているウクライナ難民678万9500人(UNHCR・2024年9月16日現在)とされている。尊い命がこれ以上失われることなく、人類共通の財産である世界遺産を後世に残していくためにも、この戦争が一刻も早く終結することが望まれる。
【参考】
□書籍
『くわしく学ぶ 世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト(第3版)』 株式会社マイナビ出版 2019 年3 月
『地球の歩き方 A31 ロシア ウクライナ ベラルーシ コーカサスの国々 2018~2019年版』株式会社ダイヤモンド・ビッグ社 2018 年6 月