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声を上げることが時流を動かす。 ~ジェンダー平等社会の実現に向けて~

20世紀初頭から現代にいたるまで、フェミニズムは女性の権利拡大に欠かせない存在でした。しかし、現在のフェミニズムに対しては、「過激」「女性優遇の思想である」という印象をもっている方も多いのではないでしょうか。インターネット上ではバッシングの対象になることもあり、若年層からの支持も高くないのが現状です。

3月8日は「国際女性デー」。イタリアではこの日に女性への感謝の意を込めてミモザの花を贈る慣習があり、「ミモザの日」とも呼ばれています。改めて、女性の社会参加や地位向上、ひいてはジェンダー平等の実現について考える日です。ここでは、フェミニズムがどのような歴史を辿ってきた運動で、その主張の本質がどこにあるのか、ジェンダー平等社会の実現に向けて私たちにできることは何かを紐解いていきたいと思います。

女性の自由と権利のため声を上げる日・国際女性デー

成人すれば性別に関係なく、すべての国民が等しく一票を持って選挙に参加する。現代を生きる私たちにとっては当たり前のことですが、日本において女性が参政権を得たのはわずか77年前。その過程にはフェミニストと呼ばれる活動家たちが生涯をかけて戦ってきた歴史があります。3月8日は国連が定める「国際女性デー」。その由来となったのもフェミニズムの活動です。

1904年3月8日、アメリカ・ニューヨークで女性参政権を求めるデモが行われました。当時は欧米のどの国においても女性参政権はほとんど認められていませんでしたが、このデモを皮切りに女性の参政を認める流れが生まれたのです。日本においても1910年代からフェミニストが粘り強く活動を続け、第二次世界大戦終戦後に女性の政治参加が認められました。

フェミニズムが社会を変える大きな流れを作った始まりの日である3月8日を、1975年に国際連合が「国際女性デー」に制定。また、同年を「国際婦人年」として、各分野における女性の地位向上に向けた行動計画を策定し、多くの国際会議を開催したことで、各国で女性の自由と権利の獲得が大きく進みました。また、その少し前、1960年代から1970年代前半にかけては、ウーマンリブ運動と呼ばれるフェミニズムの活動も広がりました。

20世紀前半の女性参政権運動を第一波として、現代に至るまでのフェミニズムの運動は大きく4つに分けることができます。各運動の目的や広がった経緯、関心の対象は異なっており、それぞれについて知ることがフェミニズムの理解につながります。

社会を変える法律制定を後押しする ―第一波~第二波フェミニズム―

18世紀末にフランス市民革命の結果、採決された「人間の市民と権利宣言」(フランス人権宣言)の「人間」が「男性」を指す内容だったことに女性が抗議し、フェミニズムが始まったと言われています。その運動が大きな波となったのが、20世紀前半。欧米で起こった女性参政権を求める運動です。日本でも平塚らいてうや市川房枝に代表される婦人運動家たちが、約30年にわたり活動を続けました。1919年、日本初の婦人団体「新婦人協会」の設立に始まり、戦争という時流に飲まれながらも、終戦からわずか10日後に「戦後対策婦人委員会」を組織するなど、女性参政権を求める働きかけを粘り強く行いました。不屈の運動の結果、1946年の衆議院選挙から女性の投票と立候補が実現し、約1380万人の女性が投票、39名の女性国会議員が誕生したのです。参政権の獲得はフェミニズムの一つの大きなゴールであり、その実現以降、フェミニズムは一度世間の注目から外れます。

再びその活動にスポットが当たるのは1960年代から1970年代。女性による女性のための解放運動・ウーマンリブ運動が欧米から起こりました。ウーマンリブとは「Women’s Liberation(女性解放)」の略称で、「The Personal is Political(個人的なことは政治的なこと)」をスローガンに、「女は女らしく」「男は仕事、女は家庭」「女に学は必要ない」などの男性中心社会の価値観にNOを突きつける運動でした。日本でも1970年に東京で第一回ウーマンリブ大会が開催され、これを機に、男女雇用機会均等法が成立に向けて大きく前進したと言われています。

また、前述のように、1975年には国連が国際女性デーを定めたり、同年を国際婦人年として各国へ働きかけたりなど、政治や行政が主導で女性の自由と権利拡大を進める動きができました。日本でのフェミニズム第二波の結実として挙げられるのが、1999年に施行された男女共同参画社会基本法。女性が、男性と対等な社会の構成員となって各分野への参画機会を得ること、そして、男女が均等に政治的、経済的、社会的、文化的な利益と責任を共に担う社会を目指すことを規定したのが、この法律です。

ジェンダー平等と一口に言っても、政治・経済・社会・文化などさまざまな分野での実現が求められており、一筋縄ではいきません。

性別だけでないさまざまな差別と向き合うこと ―第三波~第四波フェミニズム―

男女共同参画社会基本法には、フェミニズムの観点で見ると欠陥があるとの言説も存在します。まだ女性の人権保障や差別撤廃が実現できていない現状で、「男女共同参画」と謳うことで、「女性の」権利拡大という視点が抜けてしまうという点です。現に、かつては「女性活躍センター」という名前だった施設が、同法律の施行後「県民共生センター」などに変更されています。あくまで男性中心社会の中で起こる変化に留まってしまい、その構造を変えるほどの変革につながらないという指摘です。

一方で、男女共同参画社会基本法の成立後は、社会構造の変化を恐れる保守層による反対運動も強くなります。こうした現象は、社会的弱者に対する平等の推進や地位向上の運動に反発する動き「バックラッシュ(反動、揺り戻し)」と呼ばれています。

1990年代から2000年代にかけては第三波フェミニズムと呼ばれる運動が始まりました。第三波は、音楽とフェミニズムと政治を掛け合わせたサブカルチャー運動・ライオットガールムーブメントの流れを汲むものと言われています。「女性も男性と同じように自由に自己表現していい」という考え方に基づき、その主体性を重視した活動です。また、この時期から「インターセクショナリティ」と呼ばれる概念も普及しました。差別にはさまざまな要素が関連しており、たとえば「黒人女性」と「白人女性」では体験する差別が大きく異なります。このことを必ず念頭に置いて、議論を進めなければいかないという考え方で、性別や人種、年齢など多様性を重視する時代において欠かせない概念です。インターセクショナリティはいまSNSを中心に広がっている現代のフェミニズムの前提となっています。

第四波フェミニズムは、「#MeToo」運動に代表されます。「#MeToo」とはセクハラや性的暴行などの性犯罪の経験を告白する際にSNSで使用されるハッシュタグ。「私も被害者である」ことを共有・連帯し、性犯罪の撲滅を目指す運動です。2010年代後半、SNSの流行と同時にハッシュタグは大きく広がり、声を上げる人も増えました。この他にも、生きていて理不尽を感じた瞬間や疑問に感じたことをSNSで発信することが、現代のフェミニズムの運動の一つの形です。

「#MeToo」は国際的に広がり大きな運動の波となっています。

理不尽に声を上げてジェンダー平等社会を目指す

ここまで、フェミニズムがどのような活動をして、どのように社会を変革してきたのかを解説してきました。しかし、日本がSDG5「ジェンダー平等を実現しよう!」を達成するには程遠い状況にあります。世界経済フォーラム(WEF)が2022年に発表した「ジェンダー・ギャップ指数」では、146か国中、日本は116位。特に労働所得格差や国会議員数、政治家・管理職数など、政治経済分野において課題が山積みです。

このような状況下ですが、現代のフェミニズムは、「過激である」「女性優遇の思想である」など言葉のイメージが独り歩きし、バッシング対象となることもしばしば。フェミニズムはいつの時代においても女性の自由と権利のために男性中心社会と戦ってきました。その歴史は、声を上げて社会を、価値観を変えてきた歴史です。性別も人種も年齢も問わず、生きていて理不尽を感じることがあるのであれば、「おかしい」と声を上げることが大切と教えてくれています。

これまでフェミニズムが求めてきたのは、女性が男性と等しく権利をもち、自由に自己表現できる社会です。そして、いまフェミニズムは、男性中心社会の価値観のアップデートや根強く残るジェンダーロールからの解放、性犯罪の撲滅などを目指しています。言葉のイメージに流されず、その歴史と主張の本質を理解しようとすること、そして、SNSの一つの投稿であったとしても声を上げることが、女性の人権保障や差別撤廃、ひいては、ジェンダー平等な社会につながるのです。

<参考>