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――被災地から見た災害時の教育支援と復興への道のり

能登半島地震・豪雨から考える教育のレジリエンス 第三弾
――被災地から見た災害時の教育支援と復興への道のり

なるほど!

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奥能登に位置する輪島市は、2024年1月に発生した能登半島地震と同年9月の豪雨で被災。市内の学校も被害を受け、教育活動の再開に向けて懸命な対応が続きました。

今回は、輪島市教育委員会教育長の小川正氏に取材し、発災当時の状況や、支援に駆け付けた学校支援チームとの連携、復興の展望について伺いました。

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発災直後の状況――混乱する学校現場

発災直後、輪島市では交通・通信が遮断され、市内の小中学校の被害状況すら把握できない状態に。教育委員会の職員は避難所の運営や支援物資の調達に追われ、情報収集や今後の対策検討といった本来の業務に人員を割けませんでした。

学校現場の被災状況も深刻でした。 道路の寸断や教職員の被災により備蓄品の供給が途絶え、毛布や暖房器具、水などの生活必需品が著しく不足。特に深刻だったのが、トイレの問題です。避難所になっていた学校のトイレには汚物が山積みとなり、 その上で用を足さざるを得ないという劣悪な状況が生じました。教職員が清掃を求められる場面もあり、精神的にも大きな負担となったのです。

教育活動再開を支えた学校支援チーム

大きな被害を受けた輪島市を支えたのは、熊本県と三重県の学校支援チームでした。小川氏は当時をこう振り返ります。
「学校支援チームは、私たちの『耳』や『目』そして『足』となってくれました。何時間もかけて市役所から各学校へ向かい、情報を持ち帰ってくれたのです。この発災後1週間の情報収集がなければ、状況は全く見えてきませんでした」

その後も学校支援チームは、瓦礫の撤去や清掃、教材準備といった学習環境の整備をサポート。食料や宿泊拠点となるベースキャンプまで全て自前で用意し、被災地に一切の負担をかけない「自己完結型」の支援活動を続けました。「彼らなくして輪島市の教育活動再開は不可能でした」と小川氏は深い感謝の意を示します。

集団避難と心のケア

命を守るための対応が落ち着いた後に浮かび上がったのは、学びの継続という課題でした。小川氏がまず実施したのは、市内の中学生約250人を対象とした集団避難です。劣悪な避難所等に身を寄せている生徒たちを安全な環境に避難させ、まずは安全で安心した食・住の環境確保、そして安心して学べる場の確保に努めました。

また、教職員のケアも大きな課題でした。地震で住まいを失った教職員の中には、学校の床で寝泊まりするなど過酷な生活を送る人もいました。 学校支援チームは そうした教職員に対する心のケアにも、継続的に尽力。 一人ひとりの様子に気を配り、不調のサインを教育委員会に共有しました。子どもの身近な存在である教職員を見守る活動は、教育委員会にとっても大きな支えとなりました。

輪島市ならではの「創造的復興」

今回の災害は、輪島市が以前から抱えていた問題を一層深刻化させました。避難による市外への人口流出で、震災前から進行していた少子化がさらに 加速。生徒数の確保が一段と難しくなり、小学校9校、中学校3校の体制を維持できない状況に陥っていました。
そこで小川氏が打ち出したのが、「創造的復興」としての学校再編計画です。中央地区の小学校6校を統合して1校にし、東部地区と西部地区にそれぞれ義務教育学校を新設する、新たな体制への移行を進めています。

小川氏は学校の在り方についてこう語ります。
「大事なのは、持続可能で、地域に住むすべての人にとってウェルビーイングな輪島を見据え、地域のバランスを保ちながら子どもたちに教育の選択肢を提供することです。学校がなくなると地域が廃れるという声もありますが、それ以前に 地域自体が存続の危機にあり、子どもがいないという現実が存在するのです。また、クラスメイトが少なく、子どもも保護者も中学校を卒業するまで人間関係が固定され、部活動ではチームが組めないなどの環境は、子どもたちのためにならないはずです 。 各地区に特色ある学校を整備することで、集団で部活動をしたい子、少人数で丁寧な教育を受けたい子など、それぞれのニーズに合わせて選べるようにする。これこそが輪島市ならではの『創造的復興』です 」。

被災の教訓を生かす――今後の防災における課題

今回の被災で浮き彫りになった大きな課題の一つが通信です。発災時には広範囲で通信が途絶し、支援物資を運ぶトラックとすら連絡が取れませんでした。地域の拠点となる学校には、災害に強い衛星回線の整備が不可欠だと小川氏は指摘します。
また、児童・生徒に配布されているタブレット端末はWi-Fi環境がなければ使用できず、緊急時の安否確認や避難指示のためにはモバイル通信が必要なことも明らかになりました。

備蓄品や設備の重要性も再認識されました。体育館の冷暖房や備蓄品はもはや贅沢品ではなく、子どもの命を守るための必需品です。小川氏は「命あってこその教育です」と環境整備の必要性を強調します。

被災の教訓を次世代に繋ぐ取り組みも行っています。輪島市は三重県の学校支援チームとともに「学校防災ボランティア事業」を実施。三重県の高校生が能登を訪問し、ボランティア活動を通して防災知識を深める活動です。また、小川氏自身も三重県に赴き、防災に関する講演を行うなど、双方向の交流が続いています。さらに、兵庫や岩手、宮城、熊本の専門家など、他の被災経験を持つ地域とのネットワークも広がっています。こうした継続的な交流を通じて他の被災地の復興プロセスを学び、数年後を見据えた復興教育に生かす ことも、これからの重要な取り組みです。

輪島市は施設の復旧や教育環境の整備にとどまらず、地域の実情に即した「創造的復興」を進めています。子どもたちに教育の選択肢を提供しつつ、未来を見据えた地域課題の解決に向けた取り組みは、新たな復興の道しるべとなるでしょう。

参考文献