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「誰ひとり取り残さない」ために、ひとりになる。――孤独とSDGsの哲学

なるほど!

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皆さんは日常生活の中で「孤独」を感じることはあるでしょうか?私はここのところ、意識的に「孤独」な時間をつくっています。ひとりで、散歩をする、銭湯に行く、映画を観る、カフェで本を読む、夜の公園でブランコに乗ってみる…好き放題です。これは決してネガティブなことではありません。「孤独」である時間を設けることは、持続可能な社会の実現ともかかわりのあることだと私は考えています。孤独とSDGs。やや遠い2点をつなげる議論になりそうですが、突き詰めていけば、そこには「誰ひとり取り残さない」の本質がありました。ここでは、20世紀の哲学者ハンナ・アーレントの議論と現代社会を見比べながら、ひも解いていきたいと思います。

ひとりぼっちは悪いこと?必要な孤独と危険な孤独

孤独という言葉の持つイメージは「寂しい」「むなしい」「かわいそう」などでしょうか。私はひとりで夜の公園のブランコに乗っている「孤独」に対して、寂しいとは感じません(強がりではない)。でも、たとえば、あるコミュニティの中で疎外感を感じる「孤独」には、寂しいという感情を抱くでしょう。孤独にも、いろいろ種類がありそうです。

ハンナ・アーレント(※1)という哲学者をご存知でしょうか。20世紀を生きた哲学者で、全体主義(※2)を分析したことで知られます。彼女の哲学に、孤独に関する議論があるので、参照したいと思います。

アーレントは、孤独を3つの状態に分けて考えました。一つ目は「孤独(solitude)」。一人になって、自分自身と対話をしながら思考している状態を指します。世界と断絶されたことで一人になっているのではなく、自分の中にいるもう一人の自分(一者のうちにある二者)と向き合っている。アーレントはこの状態を必要な孤独として肯定的に捉えています。二つ目は「孤立(Isolation)」です。職人が仕事に没頭している時のように、何かの作業のために一人になっている状態。人と人の間の政治的接触(他者との議論や合意形成)は絶たれていますが、仕事などの人間の生産活動には必要不可欠な状態です。最後に「見捨てられていること(loneliness)」は、自分自身からも世界からも見捨てられた状態を言います。他者との絆が失われている、かつ自分自身との対話・思考ができない状態で、「自分は誰にも必要されていない」「世界における居場所がない」という根本的な無力感を抱きます。「見捨てられていること」は全体主義の温床として、アーレントが最も危険視する状態です。「見捨てられていること」の状態にある人々は、その耐え難い不安から逃れるために、「論理的に一貫した(たとえ間違っていても言い切ってくれる)強い物語」にすがりつき、思考停止で従うようになると、アーレントは指摘しています。

危険な孤独とSNSが加速させるポスト・トゥルース

「見捨てられていること」の危険性に対する指摘に接した際、筆者は、デマ・フェイクなどによる陰謀論の拡散を真っ先に思い浮かべました。わかりやすい真実めいた言説が、事実かどうかは二の次で、支持されてしまう。こうした「ポスト・トゥルース」(※3)は、SNSなどで自分と似たような意見や考えばかりに接することで、自分の意見が反響し、増幅・強化されてしまうエコーチェンバー現象によって加速したと考えられます。民主主義国家においては、そうして形成された民意の先に、あらゆる政治的判断、社会課題があります。SDG10「人や国の不平等を無くそう」SDG16「平和と公正をすべての人に」などの達成を脅かす議論が、事実ではないことをもとに繰り広げられる様子は、近年大きな話題になっていました。具体的な事例を思い浮かべた方もいるでしょう。特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する他者の意図的な行為(プロパガンダ)に、私たちは厳しい目を向け続けないといけないのです。

「孤独」に隠された、誰ひとり取り残さないためのヒント

自分が拡散をする前に一歩踏みとどまること、情報のソースを考慮すること、こうした情報リテラシーについては、かねてから重要性が説かれています。ポスト・トゥルースの加速とともに重要性が増す、情報リテラシーに欠かせないのは、自己との対話と思考。つまりアーレントの言うところの「孤独」です。もう一人の自分と対話をすることで、思わず飛びつきそうになる「わかりやすさ」を見つめ直し、その脆弱性に気がつくことができる。

一方で、現代は「孤独」になりづらい時代でもあります。手元の端末で、外部の世界といつでもつながることのできる時代。無心にスワイプをするうちに数時間が経っていたり、ポケットの端末に通知が来ていないかが気になったり。情報に振り回される時代。このような常に何かとつながっている世界をアメリカの社会学者、シェリー・タークル(※4)は「常時接続の世界」と呼びます。そういう時代ですから、生きていくうえで、スマホを捨ててすべての接続を断つということは現実的ではありません。ただ、一時的に情報過多の世界との接続をOFFにして、「孤独」な時間を作ることならできるはずです。

「誰ひとり取り残さない」というSDGsのスローガンは、孤独である人をなくすと読めますが、この孤独は「見捨てられていること」でしょう。社会的排除などによって世界から断絶された状態を脱し、一人ひとりが「見捨てられていること」を感じることのない社会を目指す。誰ひとり取り残さない社会実現の糸口のひとつは、一人ひとりがわかりやすい事実めいた情報に対して厳しい目線を向け、時に「孤独」の中で自己や社会の複雑さと対話をすることです。

そうして、私は電源OFFのスマホをカバンの奥底に、夜の公園でブランコに乗るのです。

※1)ハンナ・アーレント
ドイツ出身のユダヤ系政治思想家。『全体主義の起源』で全体主義の構造を鋭く分析し、『イェルサレムのアイヒマン』では、思考停止が招く「悪の陳腐さ」を提唱して世界的な論争を呼んだ。20世紀を代表する知性の一人とされる。
※2)全体主義
個人の自由や人権よりも国家や民族といった全体の利益を優先し、国家が個人や社会活動を一元的に支配・統制する政治思想・社会システムのこと。
※3)ポスト・トゥルース
客観的な事実よりも、感情や個人的な信条への訴えかけが、世論形成においてより強い影響力を持つ状況のこと。
※4)シェリー・タークル
MIT(マサチューセッツ工科大学)教授。社会学者・臨床心理学者。テクノロジーが人間の心理や対人関係に与える影響を30年以上にわたり研究している。スマホ時代の到来以降は、デジタル接続がもたらす「孤独」や「共感の欠如」に警鐘を鳴らす。

参考文献

『ハンナ・アレントにおける“一人である”ことの多層性-政治的主体化へ向けて』,石神真悠子,東京大学大学院教育学研究科 基礎教育学研究室 研究室紀要 第45号,2019年7月
『増補改訂版 スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険』,谷川嘉浩,ディスカヴァー・トゥエンティワン,2025年4月

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