
無意識の偏見とは、誰かを透明にしてしまうこと
アンコンシャス・バイアスという言葉をご存知でしょうか?無意識の偏見とも呼ばれ、自分の気づかないうちに持ってしまっている先入観や思い込みのことです。自身の過去の経験や社会の影響で形成されていて、無意識のうちに判断や行動に表れるものです。
この「アンコンシャス・バイアス」は、多くの場合「性別」に対する偏見として指摘されます。例えば、女性は感情的で、男性は理論的。いわゆる「女性らしさ」「男性らしさ」という、性別に付随するイメージです。日常会話の中でこうした、ただの偏見をもとにした発言をするとトラブルの火種になりかねません。偏見は、そうではない人を無視してしまう行為です。少数派をいないものとして、透明化してしまう。「金髪の人は不真面目だ」という偏見は、「金髪でも真面目な人」をいないことにしてしまっています。「誰ひとり取り残されない」社会を実現するうえで、誰も透明化しないことは、何より大切です。
無意識の偏見を意識する
私は、日常的にこのアンコンシャス・バイアスに自覚的であろうと意識をしています。自覚できるバイアスは、アンコンシャスではないという矛盾はさておき、無意識下で偏見をもとに行動してしまっていないか、見つめ直すようにしているのです。
よく指摘される内容であれば、「(男性が)家事育児を“手伝う”」「結婚したら女性が姓を変えるもの」「男性は力仕事が得意」のようなもの。実際に傾向が強いとしても、それが当たり前ではないし、常識でもないのです。家事育児は女性に限らず家族で取り組むものですし、姓の変更は男女どちらも可能で、男性でも力仕事が苦手な人もいます。他にも、恋愛トークで、男性に向かって「彼女いるの?」、女性に向かって「彼氏とどう?」など、相手のことを良く知らない状態で恋愛対象を特定の性別と決めつけてしまうのは、無意識の偏見と言えます。恋愛感情を抱く対象は異性に限りませんし、恋愛・性的感情を抱かないアロマンティック・アセクシャルの人もいます。
アンコンシャス・バイアスは、このように、性別間の偏見として指摘されることが多いですが、それには限りません。他にも、「高齢者は、スマートフォンを使うのが苦手」などの年齢による偏見、「眼鏡をかけている人は真面目」などの外見による偏見、「文系の人は論理的思考が苦手」などの学歴による偏見。改めて見つめ直すと、身の回りには、自然と持ってしまっている「偏見」がたくさんあると思います。
一人ひとりの“アップデート”が、誰ひとり取り残されない社会実現の鍵
今まで当たり前に会話のネタになっていた話題に対して「それって偏見ですよね?」と指摘して回ると、息苦しく感じる人もいるのではないでしょうか?
指摘を息苦しく感じるということは、今まで自由に無意識の偏見に基づく発言をできていたということだと思います。ただし、その一方では、誰かの偏見による発言で息苦しさを感じてきた人がいるのです。大切なのは、決めつけないこと。「ある特定の属性の人は、○○なことが多い」という傾向が実際にあるとしても、目の前の人が○○である確証がないのであれば、それは決めつけです。
多様性の時代。アンコンシャス・バイアスに自覚的になろうとすることは、「誰ひとり取り残されない社会」を実現するために、一人ひとりが日常的にできる取り組みだと私は思います。自分の発言・行動が、偏見に基づいたものになっていないか、「なんでこう思ったんだろう?」と自問自答をすることが、自らの偏見に気がつく第一歩です。
価値観を全く新しくすべきということではなく、アンコンシャス・バイアスに自覚的になり、時代に合わせてアップデートする。今この瞬間から、一人ひとりが始められる、SDGsです。