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「灰色の男たち」の魔の手から、「じぶんの時間」を取り戻すには? ミヒャエル・エンデ作『モモ』から、一人一人の豊かな生活を考える。

ドイツの文学作家、ミヒャエル・エンデが執筆した児童文学作品『モモ』。1973年の発刊以来、世界各国で翻訳版が愛読され、今なお高い人気を博しています。中でも日本の発行部数は本国ドイツに次いで2位であり、日本人がこの物語に強く惹かれていることが分かります。多くの読者が虜になる理由の一つに、作品に描かれる「灰色の男たち」が支配する世界と、私たちの住む現実世界の共通点が挙げられそうです。今回は『モモ』になぞらえて現代の世相を読み解き、「じぶんの時間」を取り戻すために必要な姿勢を考えます。

効率の追求に明け暮れるうちに、生活はやせほそっていく

ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳「モモ」岩波書店

円形劇場の廃墟に住みついた、もじゃもじゃ頭で粗末な身なりをした不思議な少女モモ。黙って話を聞くだけで、人の心を溶かし悩みを解消させる能力を持った彼女のまわりには、いつもたくさんの大人や子どもたちが集まっていた。しかし「時間」を人間に倹約させることにより、世界中の余分な「時間」を独占しようとする「灰色の男たち」の出現により、町じゅうの人々はとりとめのないお喋りや、ゆとりのある生活を次第に失っていく。

『モモ』時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)単行本 ― 商品説明

『モモ』の世界では、「灰色の男たち」に唆された人々が厳しく効率を追求する労働に駆り出され、心を楽しませる自由な時間を失ってしまいます。こうした事態は、経済大国と呼ばれる日本でも実際に起こっているのではないでしょうか。その証拠に、私たちの日常生活においても「時間がない」「暇がない」と焦りや不安を感じる場面がたびたびありませんか。

OECD(経済協力開発機構)が2020年にまとめた生活時間の国際比較によれば、日本人男性は比較国の中で一番、長時間の有償労働をしているのだそう。さらに、家事や育児、介護といった無償労働も合わせた総労働時間は日本人女性が最長です。これだけの時間を労働に費やしていれば、必然的に家族との団らんや趣味を楽しむゆとりは少なくなってしまうでしょう。

誰もが時間に追われる社会では、市場に流通する商品も大きく変化します。『モモ』の物語内では「ぜんぶおなじにつくってしまうほうが、ずっと安あがりですし、時間も節約でき」るため、無駄なものが全く存在しない大都市の町並みが形成されました。その結果、職人たちは仕事に対する誇りを失い、町で暮らす人々の生活は「日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなって」いきます。
大量生産された安価で均質な商品が市場を覆い尽くす状況は、現代の日本にも通じます。そして、その製造を請け負っている海外の工場では、劣悪な条件下で労働者が酷使されるケースが後を絶ちません。生産背景を知らない消費者は簡単に商品を手に入れられたことに満足しますが、その品物に対する特別な愛情や安らぎまでは感じられないでしょう。

『モモ』の刊行から50年が経過した今、「灰色の男たち」の支配によって生じた「(むだな)時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていく」という事態が現実のものになりつつある――。さまざまな事実から、そんな状況が読み取れるのではないでしょうか。

手仕事の伝統を受け継ぎ、生活を飾ろうとする試み

それでは、現代社会を生きる人々は、どうやって豊かな生活を送ればいいのでしょうか。

歴史を振り返ってみると、産業革命を経て機械による生産活動が可能になったイギリスでも、大量の粗悪品の流通が問題になっていました。この危機に立ち上がったのが、19世紀を代表するイギリスの芸術家で、詩人・社会運動家としても活躍したウィリアム・モリスです。彼は職人が丁寧に作り上げた製品を使うことが生活に彩りをもたらすと考え、手仕事の復興を目指す「アーツ・アンド・クラフツ運動」を開始しました。その思想は当時の人々に大きな影響を及ぼしただけでなく、現代を生きる私たちにも生活を楽しむヒントを与えてくれます。

昨今の日本でも手仕事の価値が見直され始めています。近年大きな盛り上がりを見せているのが、作り手のこだわりが詰まった古道具や古着を販売する「蚤の市」です。中でも、手紙社が運営する「東京蚤の市」は全国各地から200店以上が出店し、3日間で約5万5千人もの来場者数を誇る一大イベントに成長しました。また、SNSで作り手・買い手のやりとりが簡単に行えるようになった結果、ハンドメイドの市場規模が一挙に拡大。minneやCreemaといったECサービスが普及し、プラットフォーム上で「人が作ることでうまれるぬくもり」「作品ができるまでの『ストーリー』」を表現して、多くの人々の心を掴んでいます。

こうした潮流を汲んでか、さまざまな工業製品を生み出してきた企業も、手仕事に関心を寄せ始めました。パナソニック株式会社は、2016年に京都の伝統工芸を受け継ぐ若手ユニット「GO ON」とコラボした家電製品のプロトタイプを発表。西陣織の生地表面に触れると音が鳴るスピーカーや、回転水流を起こして野菜や果物を冷やす木桶など、ユニークな作品を展示して反響を呼びました。手仕事の魅力が詰まった商品を使用して、日常生活の中で芸術を楽しむ。19世紀にモリスが提唱した試みが、今新たな形で社会に浸透しつつあるのです。

生活の豊かさを支える、多様な働き方が拡大

冒頭で現代の日本と『モモ』の世界の共通点を挙げましたが、新型コロナウイルスの流行という未曽有の事態を受けて、社会の在り方も少しずつ変化しています。近年の調査では、市街地の人流を抑えるために在宅勤務が推奨され、一般化した結果、多くの人が「通勤」「会社の飲み会・食事会」「仕事」の時間が減り、「趣味」「家族とのコミュニケーション」の時間が増えたと回答。娯楽や親しい人との交流の価値に気付き、それらの時間を「今後も維持したい」と答えています。さらに、コロナ禍の新しい生活様式を経験したことで「人生を豊かにするための時間の使い方」を考えた人の割合は54.1%に上りました。さまざまな社会変化の中で、私生活を顧みず仕事に打ち込むといった従来の価値観が薄れ、一人一人に合った豊かな生活を送ろうという気運が醸成され始めているのです。

政府も働く人々に寄り添った政策を打ち出しています。2019年には、厚生労働省が「働く方々が個々の事情に応じた多様で柔軟な働き方を自分で『選択』できるようにする」取り組みとして、「働き方改革」を発表。長時間労働の是正や、正規・非正規などの雇用形態による待遇差の解消、テレワークや副業・兼業といった柔軟な働き方に対応できる環境整備など、幅広い分野の施策を掲げています。

その先駆的な例として注目を集めるのが、「週休3日制」の導入です。既にイギリス、アイスランド、ベルギー、ニュージーランドなどでは試験導入され、従業員の幸福度が大幅に向上しただけでなく、収益と生産性も維持・改善されたという結果が出ています。日本では日立製作所やパナソニックホールディングス、塩野義製薬などの大手企業が検討・導入に乗り出しました。政府の「経済財政運営と改革の基本方針2021」(骨太の方針)にも「選択的週休3日制」が盛り込まれており、同様の動きは今後ますます拡大していくと考えられます。週休3日の場合の労働時間や給与、仕事量は各企業で異なりますが、こうした制度を活用できれば、私生活を充実させながら仕事にも意欲的に取り組む、理想の働き方が実現できるのではないでしょうか。

生活を楽しみながら、「灰色の男たち」とも手をつなぐ

人々に効率を追求させ、自由な時間を搾取する「灰色の男たち」の策略からどうやって逃れればいいのか。数々の事例を踏まえると、冒頭の問いに対する答えが自然に浮かび上がってきます。手仕事に代表される魅力的な製品を自分の目で選び、生活に彩りを持たせること。人生を豊かにする時間を確保できるよう、自分に合った働き方を選択すること。私たちは生活を蔑ろにしがちですが、それが心の豊かさと深く結びついていると理解することが、何より大切です。

一方、『モモ』の物語内で忌避される「灰色の男たち」も、現実世界では経済発展を遂げるために欠かせない存在でした。熱心な研究・開発で新しい技術やサービスを生み出したり、大量生産によって社会の隅々にまで商品を行き渡らせたり……。「灰色の男たち」に駆り立てられた人々が、現代社会を支える数々の功績を生み出してきたことは疑いようがありません。自分自身の生活と社会活動を両立するための時間を見極め、協力できるようになれば、人間と「灰色の男たち」はむしろ良い友達になれるのではないでしょうか。21世紀を生き抜くには、日々の生活をいとおしみながら彼らと対等に手をつなぎ、共に歩んでいく姿勢が必要なのです。

<参考>